特別お題「わたしがブログを書く理由」
私には夢がある。
亡くなる直前まで誰かとゆるく繋がっていたい。
自分の存在を認識してくれる、その程度でよい。
長生きの家系なので、おそらく晩年はいわゆる老人ホームに入るだろうと予想している。
そうすると、職員とたまに来る家族以外とはほとんど繋がりがなくなってしまう。
現実世界の友人たちは遠くに住んでいるし、どちらが先にあの世に行くかは分からない。
ふだんは一人が好きで、プライベートであまり人と会うことはない。
しかし、それは能動的に知り合いを作ろうとすればできる環境なので、あまり気にせずやっていけるのだと思う。
もし、老人ホームに入り、新しい知り合いを作ることを遮断されたら。
これは無人島に置いていかれたような恐怖を感じる。
人との関係を「作らない」と「作れない」は、ゾウとミジンコほど違うと思う。
選択の自由を奪われるのだ。
もちろん、スタッフや家族も気にしてくれるかもしれない。
でも、彼らも仕事があるのでいつでも相手をしてくれるわけでもないし、身近だからこそ表現できないこともある。
入居者同士も気が合うとは限らない。
そこで、パソコンやスマホを持ち込み、ブログを続けていれば、外部の人とゆるく繋がることが可能だと思いついた。
施設にもよるが、老人ホームには持ち込む荷物量に制限がある。
狭さゆえ、ミニマルであることを強要されるのだ。
広いところやサービスが良いところはお金がかかかりすぎるので、文句は言えない。
でも、狹くても最低でもスマホは持ち込めるはずである。
ブログを続けていれば、顔は知らないけれど知り合いとコンタクトが取れる。
うまくいけば広告収入が入り、お小遣いをもらえる(税金は払う必要があるが)。
絵や小説などを書いていれば、発表の場も与えられる。
旅行に行けない体になっても、やろうと思えば世界中の人とつながることが可能なのだ。
ブログを書けるということは、ネットショッピングや音楽配信などのサービスも使いこなせるはずである。
このように、人間関係、仕事、楽しみをあきらめなくてよく、世界が広がっていくのである。
「無人島」だったのが「パラダイス」になる。
つまりブログを書ける老人の可能性は寿命が尽きるまで無限大なのだ。
今までは静かに亡くなるのを待つイメージだった老人ホーム。
ITを少し使えるだけでも攻めた晩年が過ごせるのである。
あの世へ行くまでにはまだかなり時間がある予定であり、それまでこのブログを続けられるようがんばりたい。
これが、わたしがブログを書く理由である。
(2023.09.14)今週のお題